2007'10.15.Mon
人って、なんて醜くて、なんて美しい生き物なんだろう。
それを内包したこの世界のなんと美しいこと!ビューティフォー。
今日はそんな気分。
それを内包したこの世界のなんと美しいこと!ビューティフォー。
今日はそんな気分。
B'zPARTYの会報が届きました(スミマセン、連日B'z関連の話で。
まず表紙の稲葉さんがかっこよすぎて、思わず泣きました。
内容としては、20周年の幸せムード漂う一冊で、B'zの二人が20年(1年を20回)一歩一歩積み重ね歩んできたんだなぁ、それってあまりにもすごいことだなぁと改めて思い、ぐっときました。
それっていうのはやはりファンの存在が欠かせないわけで、私がB'zという存在を知らなかった十何年前でもB'zの二人を愛し支える人たちが大勢いたことを思うと、その人たちに感謝の念を抱かずにはいられない。
FANの書き込みを見るたびに、B'zをこんなに愛してくれてありがとうと思う。
ありがとう、Brother…!大好きだ!
私が日々関わる人、目にする人って大勢いる。
職場の人、かつて学び舎で日々を共にしてきた友人、絵を描いていく上でネット上で知り合った人、ダンスを通じて出会う舞台上のダンサー…。
言葉を交わしたことのない人でも、今のネット世界ではその人の想いを覗くことが出来る。
一人ひとりが違うことを思い、違う物を愛しながら生きている。
好きなものを好きだといえる人がとてもすきだ。
例えば絵、言葉、ダンス。友達だったり恋人だったり、家族だったり。漫画でも舞台でも音楽でも。
心揺さぶられる。
心揺さぶられている人に、私は心を揺さぶられる。
好きだから真っすぐで、好きだから情熱的で、好きだからこだわって、好きだから許せなくて、好きだから許容できる。
素晴らしいじゃない?
絵を描くのが好きで好きで、やめようと思ったのに辞められなかった。
絵を描くのは好きだ。でも毎日なんて描けないし、それよりも大事なことが自分にはある。
絵を描くのが自分にとってどうということはない。たまたまタイミングが合ったから描いてみただけ。
サイトで絵を公開するだけでも、色んな考えを持つ人がいて、色んな形があって、この世界は成り立っている。
それでいい。
自分がやりたいからやる。終わりにしようと思ったから終わりにする。
なんて自由なの!
それでいいんだ。
なんて思いながら、閉鎖したサイトのブックマークを削除できずにいる。
それでいいんだ。
閉鎖しましたの言葉を見つめながら、その自由さに羨望の念を抱いた。
(見る人が見れば、それを自由とは言わない不自由ささえも美しい)(閉鎖に苦悩が伴った方から見れば、とんでもない話なのだろうけど)
この世界には、自分のやりたいことのために他のものを犠牲にしながら、必死にもがいている人がたくさんいる。
自分のやりたいことに没頭している人がたくさんいる。
美しいよね。
そしてかけらでもそれを掴めた人を見ると、いつもいつも羨ましくなる。祝福したくなる。
なんなんだろうなぁ…。
自分がもどかしくてたまらない。
一番を決められないが故に、何をも犠牲にできない。
どっちもやりたい、そしてそのどちらも中途半端。
でも、それでもいいと思ってる。
もどかしいと感じながら、いくつものことを追いかけて、たとえ中途半端でもそのかけらを掴めたら、それで満足でしょ?
特段、投げやりになってるわけじゃあない。
諦めたくないだけ。
…って書くとカッコイイな、おー。
書いてはみたけど、本当にそういうことなのか?という疑問は消えない。
もしかしたら、実際投げやりになってるだけなのかもしれないし。
わかんないや。
想いが交錯する。
自分の愛する者への感情と、それを愛してくれる者たちへの感謝。
好きなものに真剣に向き合い語る人に揺さぶられる想い。
自由。羨望。もどかしさ。すきすきすき。
ぶつかって、溶け合って、融合して、原型がわからないくらいぐちゃぐちゃになって、何考えてるのかがわかんなくなって。
最後に愛しいという想いだけが残って。
だから私の涙は止まらないんだろうな。
人って、なんて醜くて、なんて美しい生き物なんだろう。
それを内包したこの世界のなんと美しいこと!
まず表紙の稲葉さんがかっこよすぎて、思わず泣きました。
内容としては、20周年の幸せムード漂う一冊で、B'zの二人が20年(1年を20回)一歩一歩積み重ね歩んできたんだなぁ、それってあまりにもすごいことだなぁと改めて思い、ぐっときました。
それっていうのはやはりファンの存在が欠かせないわけで、私がB'zという存在を知らなかった十何年前でもB'zの二人を愛し支える人たちが大勢いたことを思うと、その人たちに感謝の念を抱かずにはいられない。
FANの書き込みを見るたびに、B'zをこんなに愛してくれてありがとうと思う。
ありがとう、Brother…!大好きだ!
私が日々関わる人、目にする人って大勢いる。
職場の人、かつて学び舎で日々を共にしてきた友人、絵を描いていく上でネット上で知り合った人、ダンスを通じて出会う舞台上のダンサー…。
言葉を交わしたことのない人でも、今のネット世界ではその人の想いを覗くことが出来る。
一人ひとりが違うことを思い、違う物を愛しながら生きている。
好きなものを好きだといえる人がとてもすきだ。
例えば絵、言葉、ダンス。友達だったり恋人だったり、家族だったり。漫画でも舞台でも音楽でも。
心揺さぶられる。
心揺さぶられている人に、私は心を揺さぶられる。
好きだから真っすぐで、好きだから情熱的で、好きだからこだわって、好きだから許せなくて、好きだから許容できる。
素晴らしいじゃない?
絵を描くのが好きで好きで、やめようと思ったのに辞められなかった。
絵を描くのは好きだ。でも毎日なんて描けないし、それよりも大事なことが自分にはある。
絵を描くのが自分にとってどうということはない。たまたまタイミングが合ったから描いてみただけ。
サイトで絵を公開するだけでも、色んな考えを持つ人がいて、色んな形があって、この世界は成り立っている。
それでいい。
自分がやりたいからやる。終わりにしようと思ったから終わりにする。
なんて自由なの!
それでいいんだ。
なんて思いながら、閉鎖したサイトのブックマークを削除できずにいる。
それでいいんだ。
閉鎖しましたの言葉を見つめながら、その自由さに羨望の念を抱いた。
(見る人が見れば、それを自由とは言わない不自由ささえも美しい)(閉鎖に苦悩が伴った方から見れば、とんでもない話なのだろうけど)
この世界には、自分のやりたいことのために他のものを犠牲にしながら、必死にもがいている人がたくさんいる。
自分のやりたいことに没頭している人がたくさんいる。
美しいよね。
そしてかけらでもそれを掴めた人を見ると、いつもいつも羨ましくなる。祝福したくなる。
なんなんだろうなぁ…。
自分がもどかしくてたまらない。
一番を決められないが故に、何をも犠牲にできない。
どっちもやりたい、そしてそのどちらも中途半端。
でも、それでもいいと思ってる。
もどかしいと感じながら、いくつものことを追いかけて、たとえ中途半端でもそのかけらを掴めたら、それで満足でしょ?
特段、投げやりになってるわけじゃあない。
諦めたくないだけ。
…って書くとカッコイイな、おー。
書いてはみたけど、本当にそういうことなのか?という疑問は消えない。
もしかしたら、実際投げやりになってるだけなのかもしれないし。
わかんないや。
想いが交錯する。
自分の愛する者への感情と、それを愛してくれる者たちへの感謝。
好きなものに真剣に向き合い語る人に揺さぶられる想い。
自由。羨望。もどかしさ。すきすきすき。
ぶつかって、溶け合って、融合して、原型がわからないくらいぐちゃぐちゃになって、何考えてるのかがわかんなくなって。
最後に愛しいという想いだけが残って。
だから私の涙は止まらないんだろうな。
人って、なんて醜くて、なんて美しい生き物なんだろう。
それを内包したこの世界のなんと美しいこと!
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